半導体レーザー歴史

半導体レーザー歴史
1953年: ドイツのフォン・ノイマンが半導体レーザーのアイディアを講演や友人宛の手紙などで発表した
1957年: 4月に東北大学の渡辺寧、西澤潤一が、半導体レーザーのアイデアを特許出願し、特許される(特公昭35-13787)11月にゴードン・グールドは、自分の研究ノートに装置の図面と簡単な式とレーザー(Light Amplification by Stimulated Emission of Radiation:輻射の誘導放出による光増幅)という言葉を記した。
1958年: ベル電話研究所のアーサー・シャウロウとチャールズ・タウンズは、レーザーの特許を出願。
1960年:3月、米国特許庁はシャウロウとタウンズにアメリカ合衆国特許第2,929,922号としてレーザーの特許を与えた[8]
1962年: GE・IBM・MITの共同研究によって、ホモ接合構造による半導体レーザーの低温パルス発振に成功した。ニック・ホロニアックが半導体レーザーによる可視光の発振に成功した
1963年: ヘテロ接合によるレーザの低閾値化の提案(ハーバート・クレーマー)
1970年: 米国のベル研究所:林厳雄、M. B. Panish、ソ連アカデミージョレス・アルフェロフらによって、ほぼ同時期に、AlGaAs/GaAsダブルヘテロ接合構造半導体レーザーによる室温連続発振に成功した
1975年: 単一縦モード発振に向け分布帰還型 (DFB) レーザおよび分布反射型 (DBR) レーザの提案した
1977年: 伊賀健一が"VCSEL"を提案し、同年に最初のデバイスの開発した
1982年: 荒川泰彦、榊裕之らが量子ドットレーザーを提案した
1987年 : 11月、長年にわたる特許紛争の末、グールドに「反転分布生成のために衝突を採用した光増幅」としてアメリカ合衆国特許第4,704,583号が与えられた
1994年: 米ベル研究所でカスケードレーザーが発明された
1996年: 日亜化学工業の中村修二が、InGaN/GaN青色半導体レーザの室温パルス発振に成功した
2000年: 「半導体ヘテロ接合の提案と実証」研究によってハーバート・クレーマー(米)、ジョレス・アルフェロフ(露)両博士へノーベル物理学賞が授与された
不得手な発光色
発光ダイオードと同様に、基本的な発光色は半導体内部の電荷(励起状態の電子と正孔)が再結合する時のバンドギャップのエネルギー差によってほぼ決定される。光学半導体として良好に機能する元素の組み合わせは限られるために、発光色はまばらに存在しており、幾つかの波長領域は不得意である。赤色や青色の半導体レーザーは量産されているが、黄色や緑色、中赤外線 (2-5μm) は実用的な発光効率を得るのが困難な傾向にあり、そのような波長ではガスレーザーなど半導体以外の材質が用いられることが多い。それでも新たな技術が開発されることで、半導体レーザーの発光色は広がり発光効率も向上している。

窒化ガリウムによる半導体レーザーの実現により、ポンピング無しでの紫外線-紫-青-水色の発光が可能になっている(製品ラインアップの例)。窒化ガリウム製のレーザーは量産の難しさから比較的高価格であるが、青色の物は日亜化学工業に続いてソニーなどが生産しており、ゲーム機やBlu-ray Discなど民生品にも利用されている。
長波長の半導体レーザ光から短波長のレーザ光を発生させる手法としては、高調波発生(SHG,THG,FHGなど)も用いられ、光ピックアップなどに応用されることがある。
住友電気工業とソニーは共同で、従来、困難だった高出力の純緑色半導体レーザーを開発した。